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東京高等裁判所 昭和39年(う)1521号 判決 1965年4月27日

被告人 小林富貴子

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一万円に処する。

理由

本件控訴の趣意は、松本区検察庁検察官事務取扱検察官検事藤岩睦郎名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

所論は原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があり、原判決は破棄を免れないと思料するというのである。

よつて按ずるに、本件公訴事実は「被告人は松本電気鉄道株式会社に勤務し、バスの車掌をしている者であるが、昭和三十八年三月二十五日午後四時二十分頃長野県東筑摩郡明科を出発した中村正幸の運転する同郡山清路行の大型乗用自動車(長二あ〇七五五号)に車掌として乗務し、同日午後四時五十一分頃同県東筑摩郡生坂村字森下六三五三の三番地先関谷下バス停留所に停車した際、およそバスの車掌たる者は発車合図をなすに当つては、扉を完全に閉め安全を確認して発車の合図をなして事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず五十嵐孝夫(当時二五年)が乗客を見送りに来て、ステツプに乗車したのをそのまま乗車していくものと軽信し、乗車口の扉を半開のまま発車合図をなした業務上の過失により、発車直後驚いて半開の乗車口から降りた右五十嵐をして路上に転倒するに至らしめ、同車の左後輪で同人の腹部辺を轢圧し、因て同人をして同月二十六日午後二時二十分頃松本市大字桐七二〇番地国立松本病院において右大腿骨完全骨折、骨盤骨折、腹部挫傷等により死亡せしめたものである。」というのであり、これに対し、原判決はおよそバスの車掌たる者は発車合図をするに当つては、扉を完全に閉め安全を確認して発車の合図をなすべき注意義務があるが、被告人は当該自動車の乗車口の扉を半開のまま発車合図をしたのであるから、車掌としての右の義務を尽さなかつたものと認めざるを得ない。しかし、被害者の五十嵐が路上に転倒し、右バスのため轢圧死亡するに至つたことは証拠上認められるが、被害者の死亡は被告人が車掌として右業務上の義務をつくさなかつたことに因るものであると断ずることはできない。すなわち、被害者は自動車の発車直後半開きの乗車口から降りたのであつて、その結果同人が転倒し轢圧死亡するに至つたのであり、被告人の前記注意義務懈怠と被害者が乗車口から降りたこととの間には原因結果の関係はないから、被告人が右義務を尽さなかつたことと前記傷害致死との間にも同様原因結果の関係はなく、被告人に責任はない。更に、乗合自動車の車掌は、乗車した後発車前に下車する者については特にその者の言語、挙動、その者の周辺における状況において、発車前に下車するものであることが明らかに看取されうるものである場合は、その者の安全に下車し終るをまつて発車合図をすべきである。本件被害者五十嵐の乗車した前後の言語挙動、同人の周辺における状況が特に同人が発車前に下車するものであると明らかに看取されうるものであつたとのことは証拠上認め難い。従つて被告人が乗車した被害者五十嵐をそのまま乗車していくもので発車前に下車するものでないと信じ、発車合図をしたことは車掌としての業務上尽すべき注意義務に欠くる処があつたとはいえないと判断し、被告人に過失はないとして被告人に無罪の言渡をしたことは所論のとおりである。

よつて按ずるに、被告人に前記の如き発車合図をするに当つて乗客の安全を確認し且つ乗降口の扉を完全に閉鎖した上発車合図をしなければならない注意義務があるのに、それを怠つた事実があることは原判決の認めるところであり、証拠に徴しても明認し得るところであるが、右乗客の安全確認とは乗客が乗降口のステツプのところに乗車しているに過ぎないのではないかということの確認、乗客が安定した姿勢をとつているか否かの確認を含むものであることも、また証拠上明らかであるといわなければならない。

そこで、若しこの順序をみだし乗客がステツプにいるに拘らず、或いは不安定な姿勢をしているに拘らず、発車合図を行いその際未だ乗降口の完全閉鎖を行わない状態であつたため、乗客が発車したバスの乗降口から車外に転落し死傷の憂目をみたというような場合においては、それは直ちに業務上の注意義務を尽さなかつた結果、人に死傷を蒙らしめたということになり、因果関係の存在を否定することはできないといわなければならない。仮に、その場合、ステツプ乗車をしていた者が乗客を見送りに来ていた人で自分では乗つて行くつもりはなかつたので、ステツプ乗車の状態から下車するつもりでいたところ、車掌が発車の合図をしたのであわてて下車の行動をとり、まだ閉鎖されていない乗降口の扉から地面へ片足を降ろした際に、バスが発車したので身体の平衡を失い地上に転落し、そのためバスの後輪で轢過され傷害を被り死亡したというが如き場合にあつても、車掌が本来の注意義務を尽し乗客と目される人がまだステツプ上にいるのであるから、乗降口の扉を完全に閉鎖してから発車の合図をし発車をさせたのであつたら、右事故は起る余地がなかつたのであるから、事故は乗降口の扉を完全に閉鎖しないで発車をさせたことと因果関係があることを否定することはできないというべきである。もつとも、この場合被害者としては、自分が下車しきらないうちに車掌が発車の合図をしたので危険だと思い用心して下車を差しひかえるか、或いは車掌を制して発車の合図を撤回させ、安全を確認してから下車するというような慎重な行動をとつていれば、事故は起らなかつたであろうが、そのような慎重さを欠き発車の合図をききあわてて下車行動をとつたのが事故を起す一因となつたとしても、それは被害者側にも事故を起こす原因があつたというに止まり、そのため車掌に事故の責任がないということを意味するものではあり得ないのである。而して、今原審及び当審で取り調べた証拠を綜合して考察すると、本件における事実関係は、叙上説明に符合する事態であつて、原判決が被告人の過失と被害者がバスに轢かれ傷害を受けた結果死亡したという事実関係間に因果関係がないとした判断は事実を誤認したものであるというべく、ただ、車掌としては被害者がステツプに足をかけた以上、それは当然乗車する客であつて、単に見送りに来た人であるかも知れないとまで考える必要はないという議論はあり得るが、車掌が前段説明のとおりステツプ乗車の程度で、扉も閉鎖せず発車の合図をしてはならないというのは、ステツプ乗車をしたからといつてそれは常に乗車をする人ばかりとは限らず、乗車をしかけたが何かの理由で下車をする(行先を間違えて乗車しかけた場合の如き)場合も間々あり、そうでなくても荷物をもつた人を見送つて来て、荷物を車内に運び入れるのを手助けするためステツプ乗車の状態になるということもあり得ることが証拠上も認められるのであるから、そのような場合をも予想して安全運転を期した注意義務の要請であるというべきで、そのように解することは決して不自然ではないのである。それ故、被害者がステツプ乗車の状態にあつたことが証拠上疑のない本件においては、被告人としては被害者が乗客であると見送り人であるとに係りなく、そのままの状態では発車の合図などすべきではなく、いわんや乗降口の扉を完全に閉鎖しないままで発車をさせるべきではなかつた筈であるし、なお、本件においては被告人に注意義務の懈怠があるにもせよ、被害者は発車したバスから一旦安全に地上に降り立つたのであるが、その後自分の過失により路上に転倒したところを輪禍にあつたのであるから被告人に事故の責任はないということ並びに被害者は一旦閉鎖された乗降口の扉を無理に開けて飛び降りたのであるから被告人に事故の責任はないということはいずれも証拠上否定すべきであり、これを要するに、発車したバスからの降車の如きは常に危険な所為であるから、バスの乗務員には、乗客にこのような危険な所為をさせないように安全確認を怠らず、常に乗降口の扉の完全閉鎖後に乗車の合図をし発車をさせるべき義務が課せられているというべきであるが、かかる注意義務の完全履行を習慣づけることは、ただに乗客の安全を確保するに止まらず、乗務員たる車掌自身が踏切などで下車し、バスの進行の安全を確認、誘導してから自分が乗車し、発車させるような場合の危険を除去する途につながるものであることを銘記しなければならない。

果して然らば、原判決は以上説明の程度において破棄されるべきであるから、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条に則り原判決を破棄すべく、但し同法第四百条但書により当裁判所において直ちに判決をすべきものと認め、更に左のとおり判決をする。

当裁判所の認定する罪となるべき事実は、冒頭に掲記した本件公訴事実のとおりであるから、ここにこれを引用する。

(証拠の標目)(略)

法律に照すに、被告人の所為は刑法第二百十一条前段罰金等臨時措置法第二条第三条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択した上被告人を罰金一万円に処すべく、訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項但書により、第一、二審共全部被告人には負担させないことととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 井波七郎 荒川省三 小俣義夫)

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